.


日本キリスト教会 小倉教会

聖書のメッセージ


「 教 会 誕 生 の 喜 び 」

使徒言行録 2章 1-13節 の説教 三瓶長寿牧師 序

今朝は教会の三大祝 日の一つ、「聖霊降臨祭の主日」です。三大祝日はクリスマ
ス、 イースター、ペンテコステですが、ペンテコステの意味は数字の 「50」 で、
モーセによ ってイスラエルがエジプ トの奴隷か ら解放 された 「過越の祭」から
50日目、当初は麦の収穫を祝 う「収穫祭」でしたが、この 日聖霊が降り、教
会が誕生したので この日を 「聖霊降臨祭」と呼ぶようになったのです。 この
日の出来事が使徒言行録2章 1~ 4節 に記 されています。「五旬祭の日が来て、一
同 が一つになつて集まつていると、突然、激 しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、 彼 らが座つていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人 の上にとどまつた。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊"が語らせるままに、ほかの国 々の言葉で話 しだした」。ここに①教会の誕生 と、②教会 とは何か とい うことと、③教 会の 目的、働 きが記 されています。
1. 教会 とは何か :
 教会 とは神が私たち人間に出会って くださる唯一の場所です。神 さまと出会 う、 と ころ、神 との接点の場所が教会です。神 は聖霊 とみ言葉によってご自分 を現 し、人 と 交わ り、救いを与えて くだ さる。 だれ も直接神 を見ることはきません。教会が語 るみ 言葉によって神 さまに出会 う。 教会 といえば、人はまず建物を考えます。 しか し神 さまと人 との出合いは教会の礼拝 に参加 し、説教を聞き、聖餐式にあずか り、賛美歌を歌い、祈 りをささげることから起こ るのだが、この世の人々はキ リス ト教 といえばまず建物 を指 します。 しか し教会の建 物は神 さまの着物のようなもの。だか ら教会は見た 目が美 しく、清楚であ りたい。 イエス さまは神殿 を「わた しの父の家」と言われた (ル カ2:49)。 神 さまは目には見えないが、聖霊にお いて教会においでになる。私たは教会で神 さまに出 会 うのです。
2.教会の誕生 :
2章 1節 「突然、激 し風が吹いて くるような音が天か ら聞こえ、彼 らが座 つていた家中に響いた」 とあ りま す。弟子たちが集 まって祈 っていた家は、最後 の晩 1 餐が行ゎれたマルコの母マ リアの家の広い三階座敷。エルサ レムの中心にあった と思 われ ます.「 突然、激 し風が吹いてくるような音が天か ら聞こえ、彼 らが座つていた家中 に響いた。そ して、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまつた」。 風 と思 と霊|ま おな じプニューマ とい う言葉。「天から」 とは 「神か ら」 とい うメタファ ー 、隠喘 です。メタファー とは人の言葉では言い表せないことを表現す る方法です。 神の霊が「家中に響いた」。家中とは男も女も、子どもも老人も、すべて,その上に神さまの霊 が降った_Dです。 教会|ま 共同体 (comunity)と 言いますが、」「共通する」 と「一つ」です。共通する の|ま キリス トに出合い、結ばれて救われ、神の子にされているとい うことです。 このことを与えられ、信 じて生きることはすばらしい。圧倒的に多 くの人が古代で も、中世でも、近代、現代までも信 じあずかって生きてきた。文化や人間性、 ヒュー マニズムや芸術、学問、平和、共に生きる人生観を生みだ してきま した。 「一人一人のうえにとどまつた」 とは、一人一人がキ リス トの体、教会の肢体、枝。 そ凛ぞれが教会の手、足、耳、 日、鼻、 日になって、語 り、聞き、手足になって仕い あい、愛 しあって生きます。神 の清いこころざし、力が与えられ るところです。 これ が教会の誕生です !! 界中のどこでも人は教会でまことの神に出会 うのです。
3 聖霊の働き
聖霊は、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまり」ました。 あらわれ プ レゼ ンス 「炎」は神の顕現、御臨在の現れです。 これ もメタファーです。モーセの召命 も激 し く1燃 える柴であらわ されま した (出 エジプト記3:1-6)、 しか し柴は燃 え尽きない。 「舌」はとい う表現は何のことでしょう。高校生のころここを読んでその図形を想像でえ きなくて困ってしまいま した。 この「舌」(グ ロッサイ)は 、言葉 を発す る器官 としての 舌のことで、炎のよ うな舌 とは,神 さまが聖霊によって私たちにみ言葉 を語 って くだ さるとい うことです。 先ほ どの聖書朗読で聞いた ヨハネ伝16章 7節 の、イエスさまは最後の晩餐の席で語 られた。「わたしが去つて行けば、あなたがたに弁護者を送る」。「弁護者」はパ ラクレー トス とい う美 しい言葉で、パラは 「傍 らに」、クレー トス (カ レーオー)は 「呼ぶ」 と い う意味です。明治時代のギ リシア聖教のエコライ訳は「慰め主」 と訳 しま した。カ トリックのラゲ訳は「弁護者」、文語訳聖書、げんだいのフランシスコ訳は 「助け主」 (Helper)と 訳 しています。人は裁判で困った とき弁護士を呼んで助けてもらいます。 福音書を読む と十字架直の前夜ペ トロは「皆がイエスさまを捨てても、自分は死んでも イエスさまに従 う」な どと愚かなことを言っています (ヨ ハネ13:37)。 しか し大祭司の 屋敷でペ トロは三度もイエスさまについて「わたしは知らない」と言ってしま う。・・・弟 -2- 子たちは鈍 く、愚かで、弱 く,貧 しい者でした。 しかしペンテコステで聖霊が降った後、 弟子たちは別人のように変わって、キ リス トを証 しします。「(弁 護者である)真理の霊が 来ると、あなたがたを導いて、真理をことごとく悟らせる」とキ リス トは約束 して くださ いました (ヨ ハネ16:13)。 ①聖霊の御業の第1は 、《キリス トの救いの御業のすべてを))、 私たちに与えてくだ さるのです。16:15「 その方はわたしのものを受けて、あなたがたに告げる (持 ち帰る」)。 キリス トの救いの御業のすべては聖霊によつて私たちに与えられるのです。 ②第2は 、キリス トの 《御業すべてについての正しい理解を与えてくださる〉)と いうこ とです。弟やがて子たちは 「ニカイア信条」の基礎になるものを残します。13節「しか し、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分 から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げ るからである」。聖霊によって弟子たちは救いのすべてを受け、正統的な信仰の理解を 伝えたのである。
4.世界宣教への出発
昇天のキ リス トは弟子たちに最後に言われた。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あな たがたは力を受ける。そして、エルサ レムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、ま た、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(1章8節 )。 「聖霊が降るとあなたがたは 力を受ける」。私たちはいま教会全体でローマ書を学んでいます。その中心主題が1章 16節 に記 されています。「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギ リシア人にも、信 じる者すべてに救 いをもたらす神の力でである」。神の救いの力にあずかつた者はみな、「聖霊の力を与え られ、地の果てに至るまで、キリス トの証人になる」のです。そ してこの福音は1900年 後の1880年 、143年 前の明治13年6月 12日 、この小倉の地にも、下関の服部章蔵牧師 ら 3人 によつてもた らされま した。お うして誕生 したのが私たちの小倉教会です。 五旬節の祭が来て、先に世界各地からエルサ レムに帰って来ていた在住の信心深いユダ ヤ人、またこのとき巡礼 して来た人たち・・・。彼 らがどこから来たのか、その地域が9 節以下に記 されています。 ユダヤを中心に、アブラハムの出身地、東のメソポタミア地方か ら来た人たち、北 のカパ ドキア、アジアの地方の人々、南か ら西ヘエジプ トとアフ リカ空来た人たち。 そのとき突然、爆音のような音が鳴 り響きました。すると弟子たちが語 り出したのです。 何 を語ったのか。・・ 。「霊が語らせるままに」語ったのです (4)。 人間が創 り出 した言 葉ではなく、神が与えた言葉 を語 ったのです。神の言葉はイエス・キ リス トご自身で 3 す。 キリス トご自身が語 られた。今 日の礼拝でも説教者のつたない人間の言葉を通 してキ リス トご自身が語ってくださるのです。 この時 も人々はキ リス トの言葉 を聞いて驚いて 言います。神の偉大な業を、わたしたちの言葉で聞こうとは」(11)。 十字架 と復活の言 葉 を聞 く。めいめい 自分の言葉で聞いたのですが、おな じキ リス トの言葉を聞いたの です。 昔、世界の言葉はただ一つで した (創世記11章 1-9:バベルの塔)。 しか し人は傲慢にな り、集まって天の神 よりもっと高い塔 を立てて、自分たちを神に勝 る者に しよ うと企 てた、そのとき神 さまは人間の言葉を乱 されたのです。それはヒトラーナチスが作った 核爆弾を、戦後ソ連 とアメリカが奪い合って、核兵器時代 を競いあったそれ と同 じです。 神は人間の言葉 を裁 き乱 された。 しか しいま一人一人固有な言葉をもちつつ、汚れを焼き尽 くす炎のような聖なる「舌」(聖霊)が分かれて、一人一人の上にとどま り、神の言葉を聞 く者にされました。一人一 人は言 う。「わたしたちは自分の言葉で、神の偉大なみ業を聞いた」。こう言って神を賛美 し たのです。ペ ンテ コステは言葉の回復の ときです。救いの恵みの言葉 を聞き、私たち は教会で神に出会 うのです。 神 さまは教会の誕生を喜び、私たちは教会で恵みの言葉を聞いて神 さまに出会い、 またお互いに兄弟姉妹 として出会 うのです。そ して教会は人類、世界の出合いのモデ ルです。私たちの教会が神さまと出会い、お互いが出会 うところとなるように祈 りま しょう。       
仕える